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家は優しいですか?

  • 空間の本質

 そこに居るとなんだか安らぐ、気が晴れる、あるいは、居心地が悪い、気が滅入るといった経験に思い当たるものはないでしょうか。それらの原因は、部屋の広さや天井の高さ、壁や床の形状や色や素材といった建築的なものであったり、そこに流れる音楽、人との距離感など様々な要因があったと考えられます。このように原因は様々ですが、私たちは五感を通して常に空間より影響を受けています。

 一方、空間そのものが放つ力によって感激したり、圧倒されたり、無力さを味わったり、と心を大きく揺さぶられた経験がある人は決して多くないのではないでしょうか。それは一般の人に限らず建築にたずさわる人間も然りです。悲しみを知らない人に他人の悲しみを癒すことは出来ないのと同様に、空間が持ち得る力を目の当たりにしたことがない人に心を揺らす空間をつくることは出来ないでしょう。そして、人の心を揺さぶることのない空間はただの箱でしかありません。

 人が、子供たちが暮らす空間は決して箱であってはいけません。 母胎で過ごした時間は記憶の中に刻まれています。胎内は決して「箱」ではなかったはずです。

 空間は食物がそうであるように、人の身となり心を満たすことが出来るものであり人の毒ともなりえるものです。

感情(心境)は刻々と変化します。空間が変化すれば感情も変化します

 空間とは、モノとモノによって構成されるモノが無い「空っぽ」の部分です。この「空っぽ」が人に対して尋常ならぬ影響力を持っているのです。この空っぽを考えることが建築なのです。

  • あなたの子供は天才ですか?

 こうしている今も、誰に相談することもなく一人きりで悩みや問題と対峙しなければならない状況下に置かれた子供たちは少なくないはずです。今にも彼らを押し潰してしまいそうな重く憂鬱なその世界は、決して彼ら自身によって構築されたものではありません。それらの世界の基盤は、長い月日をかけ社会が、大人が、そして親が意図的か否かには関わらず作ってきたものではないでしょうか。

 子供たちは皆、生を表現する天才的なアーティストです。 

 親が描いた絵の中に子供を閉じ込めていませんか。束縛されたままではその才能は発揮できません。脳力は使わないでいると錆びついてしまいます。彼らから表現の自由や表現の場を日々奪い続けているのは、今の環境であり私たち大人なのです。

 小学校に通う頃になると子供は、勉強机がほしいとか自分の部屋がほしいと言い出すことは少なくありません。それは、友達が持っているからという理由やその頃になると本や大切なおもちゃなど自分に属する物の数が増え、自分の領域を確保したいという思いの現われであったりします。親が考える、一人で静かに勉強したい、プライバシーを確保したいというものとは異なります。

 家を建てる時の要望として、子供部屋は明るく、帰ってきた子供が子供部屋へに行くには居間を通るような動線にしたいといった要望を耳にすることがよくあります。これは、親が子を思う気持ちの現われであって決して悪いものではありません。ただ、忘れてはいけないのは、これはあくまで親の視点での要望であって、子供たち自らが望んでいるものではないということです。言い換えれば、これをもって子供のことを考えた家づくりをしているとしてしまっては、それはただの自己満足に過ぎません。日当たりが良くてどんなに明るい部屋でも、壁に向かって一人長時間座って勉強するなんて誰も御免なのです。ダイニングテーブルに居るお父さんの横で、夕食の準備をしているお母さんのそばで、宿題をしたいのです。

 子供たちが心身共に健康に成長すること。それが、健全な社会を形作っていく源となります。そうするためには、子供を中心に物事を考えることが必要です。子供を中心に考えるとは子供の目線で考えることです。従来の大人と子供の関係の、教える→教えられる、導く→導かれる、遊ぶ→遊んでもらう、という1方向のベクトルだけの考えに束縛されたままでは、いくら子供のことを考えているといっても、それはあくまで大人(親)というフィルターを通した答えであって、決して子供の目線で物事を捉えた結果に得られたものではありません。共に学び、互いを導きあい、一緒に遊ぶ。といった対等な関係をより多くの場面において保つことが大切です。

  • 家族を楽しむための家

 帰宅して玄関の引き戸の鍵を開けようとガチャガチャ音を鳴らしていると、中から「おとうさん帰ってきた!」と子供の声が聞こえる。子供が外から帰ってくると、家にいるだろう私に向かって「おとうさん!?」と呼びかける。居らぬふりして黙っていると「おとうさんおらんやん…」母親がトイレにいると「おかあさんどこいったん?」と、我が家では日々このような具合です。もちろん、トイレにいる時間を子供に邪魔されることを願って家のプランニングをしたわけではありません。子供達はただ単に家族がそばにいることに慣れその緊密な距離感を当たり前に感じ家族のメンバーの存在が絶えず意識の中にあることにすぎません。

家の2つの役割
実生活空間:食べる、寝る、排泄、仕事、勉強
精神空間:くつろぐ、楽しむ、悩む、癒される

 感性が豊かで、上手く感情を表現することができ、自分を肯定的に見ることができる時、心が健康だといえます。このような感情の変化が抑圧されることなく、また自由に表現できる場が精神空間であり、家が持つべき大切な役割の1つです。ですから家を公園化し子供が喜ぶようにすればよいわけではなく精神的空間としての、楽しむ場と同時に悩む場でもなければいけません。

家とは
家は人が住するところ。
まだまだ箱にすぎない家が多いことにことに気づいてください。
もっと家について必死になってください。
カッコよさや利便さも大事にしてください。
でも、もっともっと大切にすべきものが傍にあります。
住まうことは生きることそのもの。
心身ともに健康であり続ける家
家族を楽しむための家
家はまだまだ可能性を秘めています。
家族の数だけ家も多種多様であるほうが自然です。

 「家」について考えることは、住む場所について考えることにとどまらず、家族で生きることを考えることです。

 心にとって健康な家を考える時がきているのではないでしょうか。